私たちが頭痛治療家になった理由

はじめまして。

頭痛専門整体院らぱぬい、院長の巽哲也と申します。

ホームページをご覧いただきありがとうございます。

私が頭痛治療家の道を志したその理由を、ここで簡単に紹介させてください。

 

 

20年以上頭痛で苦しんでいた妻

妻は中学生の頃から頭痛に苦しんでいました。

どこへ行くにも市販の頭痛薬は手放せず、しかしその薬もほとんど効かず、酷い時には嘔吐することもありました。

家にいる時は冷蔵庫で冷やした冷えピタをおでこに貼って寝てやり過ごすしかありませんでした。

母も慢性頭痛があり、「頭痛は遺伝性のもので仕方がない」と

 

治すことを諦めていました

 

細かい手作業をすることが好きだった妻はネイリストの道へ進みました。

お客様一人ひとりの個性に合わせたデザインの提案をし、完成したネイルに満足して笑顔でお店を後にされるお客様を見送る毎日の仕事に、やりがいと充実感を持っていました。

 

店長を任されるまでになった妻でしたが、長時間の無理な姿勢(ネイル作業中はお客様の爪に視線が集中するためどうしても猫背の姿勢になりがち)がたたり、これまでにない酷い頭痛に襲われるようになっていきました。

次第に頭痛だけではなく、目の痛みや空咳が止まらなくなるような症状も出始めました。(呼吸器科の病院へ行くと肺年齢86歳との診断!!)

これ以上ネイルの仕事を続けることは身体への負担を考えると難しいと感じ、やりがいと充実感のある仕事でしたが辞める決断をしました。 

  

 

「日だまりショット」との出会い

ネイルの仕事を辞めてもしつこい頭痛はなくなりませんでした。

脳外科病院(頭痛外来)へ行ってMRIなど精密検査を受けましたが、先生からは「特に異常はありません。片頭痛ですね。」と診断され、痛み止めの薬を処方されるだけでした。

 

頭痛の原因は分からないまま・・・

 

そんな中、

 

頭痛を治せる整体院がある

 

ことを知りました。

それが「日だまりショット」でした。

「病院でも治せないのに整体で治せるの?」と半信半疑でしたが、ダメもとで行ってみることにしました。

施術を始めてすぐ、先生が

 

ここが頭痛の原因ですね

 

とスパッと言い切ったのです!

施術は終始軽いタッチだけでした。

その後数回通うと頭痛が出なくなったことに気づき妻は大変驚きました。 

 

 

頭痛の不安から解消された毎日

 今までどこへ出かけるにも頭痛薬を手放せなかった妻でしたが、

 

今では頭痛薬を持ち歩かなくても不安ではなくなった

 

と言います。

「最近冷えピタも貼ってないね」と聞くと、「日だまりショットを受けるようになってから頭痛がほとんど起らなくなって体も楽になった」と明るい笑顔で答えてくれました。

20年間我慢するしかなかった頭痛が、「日だまりショット」によって解放されていました。

 

 

 

世界と日本の空の玄関口を支えてきた私

一方私は、20代、30代の大半を成田空港で「ランプコントロール」という、日本で唯一の特殊な現場(管制塔でパイロットに対して無線を通じて様々な指示を出し、主に駐機場やその周辺の航空機の交通整理を行う業務)でやりがいと誇りを持って仕事をしていました。 

 

ところが、40代に入り管理職になると、現場から外れて慣れないデスクワークをする部署へ異動することになりました。

もともと幼少の頃から

 

人の(社会の)役に立っていると実感できる仕事

 

に強い憧れを持っていた私は、現場から離れ、デスクワークをする毎日に「この仕事は誰の役に立っているのか?」という疑問が沸くようになり、毎日思い悩むようになりました。

慣れない環境や、人の(社会の)役に立っていると実感を持てない毎日。

そして、自分の思いとかけ離れたことをしているのではないかという疑心暗鬼の日々を過ごしていると、次第に体調も崩すようになり、頭痛、めまい、吐き気を感じるようになっていきました。

それは

 

身体から私への「SOS」のメッセージ

 

だったのです。

 

 

「日比塾」との出会い

働き方に悩んでいた私はその頃、妻が「日だまりショット」と出会い、長年苦しんでいたツライ頭痛から解放されていく姿を目の当たりにしていました。

頭痛によって家で寝込むことがなくなっていき、妻から「日だまりショット」の独特な施術方法や施術する先生の人柄を聞いていくうちに、私は「日だまりショット」に興味を持ち始めました。

 

そんなある日、塞ぎがちだった私に妻から「日だまりショットの体験会が東京で開催されるから気分転換に一緒に参加しない?」と誘われたのがきっかけで出会ったのが日比塾でした。 

頭痛治療家を育てる日比塾

 

 

「頭痛専門は生きづらさ専門」という言葉

体験会では日比塾の塾長であり、「日だまりショット」の生みの親、日比大介先生による「頭痛治療家」という仕事について熱のこもった紹介がありました。

それは、ただ頭痛を治すのではなく、

 

頭痛に苦しむ患者さん本来の生き方、「自分らしい生き方」をサポートしていくのが「頭痛治療家」の仕事

 

ということでした。

そして、頭痛専門は生きづらさ専門であり、

 

『頭痛=人生』

  

であるというキーワードが目に飛び込んできた時、「これだっ!」と直感しました。

「頭痛治療家」とは、患者さん一人ひとりに対して真心を持って寄り添い、頭痛を解消させていくことでその人本来の生き方へ導いてあげる仕事だと感じました。

そうだとすれば、「人の役に立っていると実感できる仕事」の中でこれ以上自分が求めている職業はないのではないかと思うようになり、「頭痛治療家」になるために日比塾に入塾し、「日だまりショット」を習得する決意をしました。

 

 

「なりたい自分」を目指す!

こうして私は日比塾の門をくぐりました。

 

日比塾では同じ志を持つ仲間と切磋琢磨して技術を磨きました。

今でも頭痛に苦しむ人を一人でも多く救うために、日比塾(現在の頭痛セラピー協会)で積極的に更なる技術の向上に努めています。

日比塾で積極的に頭痛治療家として勉強に励む姿

ただ純粋に誰かの役に立ちたいと悩み、頭痛治療家の世界に飛び込んだ私が、

 

あなたの「本当になりたい自分」の実現を全力でサポートします!

 

頭痛を理由にあなたは夢をあきらめていませんか?

やりたいことを全力でできていますか?

あなたらしい笑顔で毎日を送れていますか?

 

人生は一度きりです

頭痛に怯え、薬で痛みをごまかすのではなく、頭痛を気にせず全力でやりたいことに打ち込める人生を送りませんか?

 

私があなたの頭痛を治すお手伝いをします!

 

私と一緒に頭痛のない明るい未来の生活を思い描きながら、二人三脚で頭痛のない明日を作っていきましょう!

 

我孫子天王台の頭痛専門整体院で頭痛を治して笑顔の毎日を手に入れましょう!

 

 

 

 

頭痛治療院名「らぱぬい」に込めた想い

「らぱぬい(Rapa Nui)」とは、ポリネシア系の先住民の言葉で「広い大地」を意味します。

それは、遠い昔ポリネシア人が広大な太平洋を2,000km以上もいかだを漕いでたどり着いた小さな島につけた名前です。

その島は、今は「モアイ像」があることで有名な「イースター島」として知られています。

周囲2,000kmに島らしい島がほとんどない絶海の孤島。

大海原を漕ぎ続けてやっとの思いでたどり着いたその島は、ポリネシア人にとっては希望に満ちたまさに「広い大地」に見えたのだと思います。

私の治療院「らぱぬい」も、頭痛に苦しみながらも「世の中」という大海原を必死で生き抜くあなたにとって、「小さな治療院」であっても希望に満ちた「広い大地」のような存在でありたい、そんな想いを込めて名付けました。

 

 

我孫子市天王台で唯一頭痛を専門に診る治療院です。頭痛外来へ行ってもダメならぜひ一度お試しください。
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